連帯の30年

同盟と難民支援
同盟と難民支援

 多くの民間団体が難民支援を行っていた頃、労働団体もまた活動を開始していた。同盟(全日本労働総同盟)は1981年(昭56)7月27日、第27回執行評議会で「インドシナ難民救援活動対策委員会(委員長=田中良一同盟書記長)」の設置を決めた。  そして、この委員会は当面、(1)広報活動の展開、(2)インドシナ難民との交流、(3)現地の難民キャンプ向け救援物資の提供--などの活動を行うことにした。同盟インドシナ難民救援活動対策委員会は、1977年(昭52)に設立した「インドシナ難民救援センター(代表=殿岡昭郎・東京学芸大学助教授)」と、1981年(昭56)に結成した「インドシナ難民共済委員会(代表=武藤光朗・早稲田大学客員教授)」への具体的な協力を通して、難民支援に貢献することとした。

 1981年(昭56)に同盟は、直ちに「愛のミルクカンパ」からインドシナ難民救援センターに2,000万円の寄付をした。この年はこのほか、玉川大学や民社党、さらに一般市民からも浄財が寄せられ、同盟の寄贈分と合わせて3,350万8,693円となった。さらに、同盟が1980年(昭55)に集めた中古衣類500トンを寄贈した。

 このほか、同センターに対しては労組だけではなく、玉川大学、麗沢大学、民主社会主義研究会議、富士社会教育センター、宗教政治研究所、天理教、霊友会、モラロジー、セブンスデー、チャーチ(アメリカの救援団体)など、多くの団体・個人が協力をした。

 インドシナ難民救援センターは、その活動を専らタイの難民キャンプに集中する方針をとり、バンコクに事務所を設け、ボランティアの駐在員を置いて活動を行った。タイにはベトナム・ラオス・カンボジアの難民キャンプが設置されていたが、ラオス難民キャンプについては、世界の関心も薄く国際的な支援体制も遅れていた。

 そこで、同センターはとりわけ、タイ北部のルーイ県パクチョン村にあるバンビナイ・ラオス難民キャンプ(山岳民族のメオ族が中心)を対象に活動を続けた。この難民キャンプには、荒れはてた山地に約3万5,000人の人々が収容されていた。

 この人たちはタイを出国して第三国に定住する気持ちはなく、また、本国に帰れば迫害されるため、故郷へ帰るつもりもなく、滞在は長期にわたり、これがタイにとって大きな負担となっていた。

 インドシナ難民救援センターは、バンビナイ・ラオス難民キャンプにボランティアの派遣、キャンプの測量・地図の作成、地下水の調査・水質検査、学校教材・文房具・医薬品の贈呈、キャンプ巡回用のバイク、無線機の寄贈などを通して、キャンプの生活環境改善や児童教育の向上に貢献してきた。同時に、難民キャンプの実情を広く日本に紹介し、世論を喚起してきた。