連帯の30年

インドシナ難民共済委員会のスタート
インドシナ難民共済委員会のスタート

 アジア連帯委員会の前身であるインドシナ難民共済委員会は、1981年(昭56)4月16日にスタートした。この日、サンケイホールには日本人、ベトナム人、ラオス人、カンボジア人100人が参加し、「難民と難民が助け合い、その助け合いを日本人が助ける」ことをスローガンに第1回総会が開かれた。また、総会には歌手のアグネス・チャンさんも出席し、激励をした。

 総会は運動の趣旨、規約、活動方針を採択し、武藤光朗委員長、殿岡昭郎事務局長を選出。顧問に同盟の宇佐美忠信会長を委嘱した。本共済委員会は、同盟構成産別の一括加盟による団体会員と、200人の個人会員によって運営された。

 インドシナ難民共済委員会は発足早々の5月2日、新宿、渋谷、有楽町でインドシナ難民の現状について都民に訴え、5月11日にはアグネス・チャンさんの協力を得て、チャリティショーを実施した。また、玉川大学、慶応大学、拓殖大学、麗沢大学で展示会、講演会、募金などを行い、これらの活動を通して難民問題を訴えた。

 救援活動としては、一時上陸難民に対し「難民の生活事情や意識などについての調査、定住先などについての相談、アルバイトの紹介、学校入学の仲介」を行ったほか、定住難民には「職業紹介、日本語学校奨学金の支給、日本で生きていくためのガイドブック制作」などを進めた。

 インドシナ難民共済委員会は、このように定住難民の自立促進に大きな役割を担ってきた。しかし、わが国の多くのボランティア団体と同じように、共済委員会もボランティア団体としての難しさを抱えていた。
 それは、何といっても事務局体制の不備であった。難民のニーズに応え、救援活動を効果的に進めるには、事務局体制の確立と活動資金の確保が不可欠であった。

 そこで、1983年(昭58)1月にインドシナ難民共済委員会は、第2回定期総会で「インドシナ難民連帯委員会(CSIR)」と名称を改め、活動のすべてを新組織に継承することにした。

 そして、その活動は今日の「アジア連帯委員会(CSA)」へ余すことなく引き継がれてきた。
 「インドシナ難民救援センター」は、新しく歩み出すインドシナ難民連帯委員会を強化するため、その活動を同連帯委員会に委ね、自らの組織を1982年(昭57)12月10日、発展的に解散した。