連帯の30年

人権団体との連携強化
「インドシナ難民は出稼ぎ難民ではない」連帯集会の開催
  • 新たな事業の開始

     1984年(昭59)1月現在、日本で生活するベトナム、ラオス、カンボジア難民は、一時上陸者を含め4,788人となり、難民会員は1,000人を超えた。インドシナ難民連帯委員会は、インドシナ難民共済委員会以降の3年間、同盟などの労働団体や市民団体、また、多くの個人に支えられて、難民の自立を助けるための支援活動を重ねてきた。

     そして、1984年(昭59)1月、池之端文化センターで第3回定期総会を開き、活動の前進を誓いあった。「これまで3年」とはいうが、インドシナ難民連帯委員会の発足からは1年。やっと基礎固めができたという段階であった。

     難民の自立を支援するため、発足時から行ってきた日本語学校入学奨学金、入学祝い金制度に加え、1985年(昭60)には「弔慰金制度」を発足させ、1986年(昭61)からは、「医療見舞金制度」を新たに設けた。

     医療見舞金制度は基金を積み立て、積み立て金の利息から傷病入院見舞い金、出産祝い金を難民会員に贈ってきた。この制度ができたことで、教育と病気に関する支援体制は一応揃ったといえよう。

     1984年(昭59)には、新たに「日本語をはなす教室(5月13日、開講)」を実施した。この教室は、難民の日本語力を高めるための補習授業として計画されたが、同時に、日本人との交流と理解を深めるねらいもあった。

     この事業が日本経済新聞の全国版に報道されるや、関東各県から沢山のボランティアが集まり、この教室は、この年だけで20回の開講となり、284人の定住難民が参加した。

  • 「インドシナ難民は出稼ぎ難民ではない」連帯集会の開催

     1985年(昭60)12月22日午後、東京日比谷の野外音楽堂で「共産主義の犠牲者、インドシナ難民は“出稼ぎ難民”ではない」との声明を支持する集会が開かれた。同集会の発端は、11月11日付の朝日新聞夕刊「ルポ'85」が、共産主義国家のベトナムから脱出した難民を「出稼ぎ難民」と報道し、「国際的な批判を恐れてのこととはいえ、また、インドシナ難民に限っての措置とはいえ、純『出稼ぎ難民』を気安く受け入れ、言葉と技能の習得、職場の斡旋、生活資金の貸与……と、至れり尽くせりの世話をする国は今や日本のほかに無い」と決めつけた。

     この報道に対し、日本に定住するインドシナ難民有志は12月5日、「われわれは、共産主義の犠牲者であって、“出稼ぎ難民”ではない」との声明を発表。

     このことを知った、学者、文化人らが、同声明を支持する会を結成し、インドシナ難民の現状を多くの人々に知ってもらおうと、ラオス、ベトナム、カンボジアおよびインドシナ難民連帯委員会の関係者が参加してこの集会を開いた。  集会ではベトナム協会の代表が、朝日新聞の「ルポ'85」にとりあげられた「21人のベトナム難民」を大村難民一時レセプションセンターに訪ね、そこで調査した事実について報告した。

     それによると、21人のベトナム難民は、昨年9月10日、ベトナムから日本に向かう途中、コーラル・プリンセス号に救助された際に、脱出の理由を聞かれたので、「ベトナム共産政権により強制的に移動させられ、つねに地方政府機関による監視がついた。脱出は政府機関の監視から身を守り、逃げるためであった」と答えた--などの報告がなされた。

     これを見ても明らかなように、朝日新聞の記事は難民が経験した事実を伝えていないだけでなく、何らかの理由により、故意に捏造したといわざるを得ない。集会に集まった人々は、日本の皆さんに「共産主義者の暴政」を訴えるとともに、「共産主義独裁者の非人間的な行為と闘う」ことを誓いあって集会を終えた。

  • 人権回復を求める諸団体との連携

     インドシナ難民連帯委員会は、インドシナ難民だけではなく人権の侵害にさらされている世界の人々との連帯を強めようと、自由人権委員会、同盟、全世界ポーランド連帯支援連絡会議、日本民主婦人の会、核兵器禁止平和建設国民会議、全国海友婦人会、良心の囚人支援キャンペーン、憲法擁護新国民会議、北朝鮮帰還の日本人妻自由往来実現の会とともに実行委員会を組織し、1986年(昭61)11月25日、池之端文化センターに各界から300人が参加して「ソ連の人権、ポーランドの労働組合権の回復を求める集い」を開催した。

     集いは冒頭、正気の人々を収容する強制労働収容所や体制批判を行った者を送っている精神病院の実態を描いた映画「真実のひと言」を上映した後、「集い」の実行委員会を代表して武藤光朗委員長(インドシナ難民連帯委員会)があいさつをした。

     武藤委員長は「共産主義のイデオロギーによって、人権を抑圧されている国がある。自由な社会にいるわれわれには、そこから悲痛な叫びが聞こえてくる。共産主義国家は、人間に対する独裁専制のビジョンを確立するために恐怖政治を行い、監視、規制などで人々を操作し、自由を抹殺している。われわれは、自由を抑圧されている人々と連帯し、人権回復のためできるだけのことをしなければならない」と訴えた。

     続いて、「ソ連の人権弾圧」について良心の囚人支援キャンペーンの正垣親一氏と、「ポーランドの労働組合権抑圧」について全世界ポーランド連帯支援連絡会議の梅田芳穂氏がそれぞれ問題提起をした。

     この中で正垣氏は「クレムリンでは、生活環境等で規制をゆるめているが、この自由も共産主義社会の利益にかなうものとの一文を入れている」。
     また、梅田氏は「人権や労働組合権が侵されていることを世界に知らせたのは、ポーランドが初めてだ。こうした抑圧を、他に知らせていくことが人権回復を早める近道」と述べた。続いて、若干の意見交換をした後、以下の3団体が連帯のメッセージを表明した。

     インドシナ難民を代表してヴ・ティ・キム・ランさんは「ベトナム・ラオス・カンボジアが共産化して以来、抑圧の政治が行われた。逮捕、勾留、人民裁判、死刑、強制収容所など今思ってもゾッとする。メコン川を渡り、ジャングルを越えての脱出は今も続いている。共産主義の恐ろしさは、身に感じてからでは遅すぎる」と訴えた。
     さらに、ムハマド・アミン・コヒィさん(アフガン難民を助ける会会長)は、ソ連のアフガニスタン侵略およびアフガン難民の現況について述べた。

     池田文子さん(日本人妻自由往来実現の会)からは、かつて北朝鮮に渡った6,000人の日本人妻の里帰りの実現に向けた運動について報告した。 続いて、この運動の協力政党である民社党の伊藤英成衆議院議員から決意表明が行われた後、日本民主婦人の会の新井田佳子会長が提案したアピールを「われわれの総意」として満場一致採択して集会を終えた。
     なお、採択したアピールは後日、ロシア語に翻訳してゴルバチョフ書記長に、ポーランド語に翻訳してヤルゼルスキー将軍にそれぞれ送付した。