連帯の30年

インドシナ難民支援が友愛会議から連合へ
インドシナ難民支援が友愛会議から連合へ

 インドシナ難民連帯委員会の活動を支えてきた同盟は、1987年(昭62)11月20日の連合(民間連合)の結成に先立ち、19日に組織を解散して23年の活動に幕を閉じた。そして、直ちに連合に継承できない政治活動、政策課題や国民運動、清算業務などを行う組織として、同年10月22日に友愛会議を結成した。インドシナ難民支援については、連合に引き継がれるまでの間、友愛会議が同連帯委員会と協力して運動の推進にあたることにした。

 1989年(平元)11月21日、民間連合と16の官公労働組合による「新しい連合」の統一大会が開かれた。これを機に、友愛会議が取り組んできた運動は徐々に連合に引き継がれた。インドシナ難民連帯委員会の運動を支えてきた同盟・友愛会議の「愛のミルクカンパ」は、1989年(平元)から連合の「愛のカンパ」に継承され、これによってインドシナ難民連帯委員会の運動も、連合が支援することになった。

 1990年(平2)1月18日に連合の第1回中央委員会が開かれ、この席上、山岸会長から武藤会長に3,500万円の救援金が贈呈された。お礼のあいさつに立った武藤会長は、「インドシナ難民連帯委員会は旧同盟、友愛会議の『愛のミルクカンパ』に支えられてきた。インドシナ難民連帯委員会が今日あるのは、その温かいご芳志の賜ものである。いま、そのご芳志が連合の皆様に受け継がれるにあたって、インドシナ難民連帯委員会は日本の自由で民主的な労働組合運動の精神的伝統に対し、尊敬と感謝の念を新たにするものである。長年にわたって共産主義の非人間性の象徴だった『ベルリンの壁』はついに崩れ去った。しかし、ベトナム、ラオス、カンボジアには、いまでも『ベルリンの壁』が存在している。難民が命懸けで逃げてきた『南シナ海』や『国境地帯のジャングル』は、『ベルリンの壁』と本質的に違わない。難民の祖国に自由と民主主義が訪れるまで、微力を尽くす決意である」と表明した。

 これまで、本連帯委員会に寄せられた浄財は、1982年(昭57)から2000年(平12)までの間、同盟・友愛会議の「愛のミルクカンパ」と連合「愛のカンパ」を合わせ、合計6億500万円となっている。