連帯の30年

タイの難民キャンプ支援と衣類を送る運動
難民キャンプ支援の開始 救援衣類を送る運動の展開 救援衣類を送る運動の展開
  • 難民キャンプ支援の開始

     インドシナ難民連帯委員会は、設立以来の懸案であったタイの難民キャンプ支援を進めるため、1984年(昭59)8月4~14日、外務省、在タイ日本大使館、タイ内務省の協力を得て、事前調査団を派遣した。この調査によって、本連帯委員会とタイの関係当局とのルートが確立した。  また、翌年の5月6~11日には電力労連の救援視察団がタイのカンボジア・サイトセブン難民キャンプを訪れ、今後の支援について調査をした。電力労連はこの後、2回にわたって調査団を派遣し、その結果として継続的に支援を行うため、「タイ国内難民キャンプ特別基金」をインドシナ難民連帯委員会に拠出。連帯委員会は、この基金の利息をタイ難民キャンプ支援の一部に支出することにした。

     このようにして始まったタイの難民キャンプへの救援調査団は、毎年実施し、年を経るごとに充実していった。救援調査団は、タイ政府や国連難民高等弁務官事務所の要請に応え、タイのベトナム、ラオス、カンボジアの難民キャンプに手を差し延べた。難民キャンプに対しては、健康と教育に力点をおいて、「医療品、蚊帳(デング熱・マラリヤの予防)、衣類、毛布、飲料水槽」を贈り続けてきたほか、「ベトナム、ラオス、カンボジア語教科書、学用品、通学服および布地、ミシン」などの贈呈および「学舎(青年学級)の建設、お寺の建立」などに取り組んできた。

     1988年(昭63)1月28日、ラオス難民キャンプ内で火災が発生し、学校とともにお寺が焼失した。仏教国のラオス人にとってはお寺は心の支えであり、「学校の建設はお寺の後」、「お寺の建立ができないと子供たちは学校へも行けない」という。しかし、そのための資金がない。そこで、5月にタイを訪れた第6次救援視察団がタイ政府、国連、難民キャンプ自治会と協議をした際、寺院建設の要請を受けた。その要請に応えてお寺の建設を行った。

     また、1984年(昭59)には、「インドシナ難民を助ける会(相馬雪香会長)」の求めに応え、国を脱出したものの難民キャンプにも入れず、タイとカンボジアの国境に滞留している避難民とアフガニスタン難民に対して、毛布と中古衣類を贈った。
     これらの毛布や中古衣類は、インドシナ難民連帯委員会の加盟団体である各産別に対し、特別に協力を求め、集約したものである。

  • 救援衣類を送る運動の展開

     「救援衣類を送る運動」は、インドシナ難民連帯委員会以前の第1次(1980年・500トン)と第2次(1981年・120トン)については、同盟が中心となって取り組んだ。1982年(昭57)から1985年(昭60)までの4年間は中断したものの、1986年(昭61)の第3次はインドシナ難民連帯委員会の手によって実施した。

     以来、毎年この運動を続け、第17次の2000年(平12)までに合計1,826トンを贈り続けてきた。
     これらの中古衣類は、国連難民高等弁務官タイ事務所を通して難民キャンプへ贈られるとともに、タイ労働社会福祉省やNGOを経由してタイの生活困窮者に届けられた。支援にあたっては難民キャンプの関係者やタイ政府と協議し、可能な限り支援を受ける側のニーズに応えることにした。

     難民キャンプに収容されている人々は、s十分ではないが、国連や先進国からの救援によって最低限の衣食住は保障されていた。
     しかし、難民キャンプが置かれているタイは、スラム街の住人や孤児、農村の低所得者など多くの生活困窮者を抱えていたが、彼等に対する援助は、一部の先進国NGOにとどまっていた。

     そこで、連帯委員会は、タイの孤児院に収容されている孤児や生活困窮者に中古衣類を贈り続け、また、あるときは、水害の被災者にも支援の手を差し延べてきた。そして、1999年(平11)からは、難民の祖国復興支援として実施している学校建設に合わせ、ラオスの障害者や恵まれない人々に救援衣類を送ることにした。