連帯の30年

大きな動きへの対応
インドシナ難民連帯委員会に対する内外からの評価 阪神・淡路大震災と難民支援
  • インドシナ難民連帯委員会に対する内外からの評価

     1991年(平3)からの9年間は、大きな事件や難民問題の改善に向けた動きが見られた変化の時代であり、インドシナ難民連帯委員会はこれらの状況に対応し役割を果たしてきた。

     この間の大きな出来事といえば、阪神大震災である。この震災では日本人とともに、定住難民も被災した。定住難民の被災者に対しては、後述の対応をした。

     国際的な動きとしては、インドシナの状況が好転したことにより、国連は1992年(平4)から難民の祖国帰還を開始したことである。  これに伴い、インドシナ難民連帯委員会は難民が帰還した祖国の復興をはじめ、広くアジアの進歩に役割を担うべきだとして、1993年(平5)5月の第12回定期総会で名称を「インドシナ難民およびアジアの恵まれない人々と連帯する委員会(CSIR)」に変更し、さらに、1996年(平8)5月の第15回定期総会では「アジア連帯委員会(CSA)」に名称を変えた。

     1991年(平3)3月の第10回定期総会を契機に、日本在住ベトナム人協会と在日ラオス協会に自主運営(自立化)の方向が確認され、連帯委員会はこれに全面的に協力することにした。
     1993年(平5)の第12回定期総会では、結成以来、本連帯委員会の発展に貢献された武藤光朗氏が会長を辞任し、金杉秀信氏が新会長に就任した。

     また、結成以来、事務局長を務めてこられた矢田彰氏が、1994年(平6)5月3日、急性心不全により逝去された。享年68歳であった。  これに伴い、後任の事務局長に野付利之氏が就任した。1998年(平10)5月24日の第12回定期総会で、事務局長が野付利之氏から打田照純氏に交代。また、この年の7月25日、前会長の武藤光朗氏が逝去された。

     インドシナ難民連帯委員会は、難民救援の功績が認められて1990年(平2)7月、中山外務大臣から表彰されたが、これに続いて、1995年(平7)10月には村山総理大臣から表彰を受けた。

     また、1996年(平8)1月には、長年タイの福祉向上に貢献したとして、タイのバンハーン首相から表彰状を受けた。これで、タイ政府からの表彰は4回目となった。さらに、1997年(平9)には、緒方貞子国連難民高等弁務官から感謝状が授与された。

  • 阪神・淡路大震災と難民支援

     1995年(平7)1月17日の午前5時46分に、M7.2の直下型の大地震が阪神・淡路地域を襲った。その被害は死者6,392人、全壊家屋11万戸(18万7,000世帯)、半壊13万6,000戸(13万6,000世帯)。ピーク時には31万6,000人が小学校等に避難し、その避難所は1,153カ所を数えた。  この大地震を通して延べ100万人の若者がボランティアとして被災地救援に駆けつけ、被災者を励まし国民の共同意識を高めた。

     勿論、連合はじめ各労働組合、労福協や各事業団体も、救援活動を持続的に展開した。救援は、日本人外国人の別なく行われたのは、いうまでもない。また当時、神戸に住んでいた日本定住ベトナム人協会の会員多数が被害を受けた。

     日本在住ベトナム人協会会員の被災は17世帯、89人。家屋全壊1世帯、半壊5世帯、一部破壊11世帯で、死傷者は0であった。連帯委員会は、日本在住ベトナム人協会に50万円の見舞金を拠出した。また、行政に対しては、罹災証明の発行、義援金の支給、仮設住宅への入居、生活相談への対応などについて要請をした。

  • ベトナム、ラオス人協会の自主運営へ

     インドシナ難民連帯委員会は1991年(平3)3月24日、池之端文化センターで第10回定期総会と創立10周年祝賀会を開き、新たな運動への前進を誓いあった。

     この年、ベトナム、ラオス、カンボジアの難民問題が発生して16年を迎えた。インドシナ難民連帯委員会は発足以来、連帯委員会に登録した難民会員に慶弔給付や日本語学校奨学金・入学祝い金給付を行うほか、就職、進学、結婚、病気などの生活相談業務を実施してきた。

     ところで、日本在住ベトナム人協会は1982年に創立して満9年、在日ラオス協会は満8年を迎え、両協会はこの間、それぞれの同胞を組織して諸活動を行ってきた。そして、活動を重ねていくうちに両協会で自立の機運が高まってきたため、第10回定期総会を契機に諸準備を開始することにした。

     新しく自主運営が行われる在日ベトナム・ラオス協会は、会員の拡大や財源を確保し、それぞれ協会固有の諸活動に加え、インドシナ難民連帯委員会が担ってきた難民会員の支援活動を含め、在日同胞の連帯や助け合いを強化することになっている。

     連帯委員会はこの努力を積極的に支援することにし、完全自立化がスムースに実現できるよう財政支援などを行ってきた。その結果、1997年(平9)から完全自立が実現した。

  • インドシナ難民連帯委員会の運動を支援する「ふきの会」の発足

     インドシナ難民連帯委員会の活動が広く知られるにつれて、「難民支援のボランティア活動をやりたい」「インドシナ難民連帯委員会の構成団体役員を引退したので、今度は個人として難民支援の活動に参加したい」という問い合わせが来るようになった。

     大変ありがたいことであった。しかし、インドシナ難民連帯委員会は、団体によって構成されており、個人が直接活動に参加するシステムにはなっていなかった。

     そこで、個人として難民支援活動に参加する方法はないか、いろいろ検討を行った結果、個人の参加によるボランティア団体を新たに発足させることになり、1991年(平3)3月20日、「インドシナ難民連帯委員会の運動を支援する『ふきの会』(多田とよ子代表)」を発足させ、直ちに、同連帯委員会に加盟した。

    「ふきの会」には、元労働組合の役員をはじめ、趣旨に賛同する多くの市民に会員となっていただいた。以来、今日まで、10年にわたりアジア連帯委員会の応援団として、タイの難民キャンプやラオスの小学校建設に伴う救援活動などにご協力をいただいている。