連帯の30年

年表
1981年
(昭和56年)
4月16日 インドシナ難民共済委員会発足、総会(東京・サンケイホール)には日本人・カンボジア人・ラオス人・ベトナム人100人が参加したほか、アグネス・チャンさんも出席。
4月28日 閣議、インドシナ難民の本邦定住枠を1,000人から3,000人に拡大するとともに、元留学生等を定住枠に含めることについて了解。
5月11日 共済委員会、アグネス・チャンさんの協力による「難民を救おう」のチャリティコンサートを都市センターホールで開催。
6月25日 共済委員会、定住者を迎え就職・教育・日本語習得などについて意見交換。
7月15日 共済委員会、定住者の生活に資するため「日常生活・法律・教育・金銭・社会福祉・住宅・医療」などを内容とするガイドブック制作の研究会を開催。
7月24日 同盟「インドシナ難民対策委員会」設置。
9月3日 シアヌーク殿下、キュー・サムファン(民主カンボジア)、ソン・サン(クメール人民民族解放戦線)の3者会談を開催、反ベトナム政府樹立で合意。
12月17日 ベトナムからの合法出国者20人が初めて来日。
この年
  • 同盟「愛のミルクカンパ」から1977年発足の「インドシナ難民救援センター」に対し、2,000万円を贈呈。また、中古衣類500トンを集約、同センターを通じてタイ・フィリピン・マレーシアの難民キャンプやキャンプ周辺の貧困層に配布。
1982年
(昭和57年)
1月1日 難民条約及び同議定書(難民条約)が発効。
2月1日 大村難民一時レセプションセンター開設。
3月31日 インドシナ難民共済委員会に同盟が団体加盟。
5月19日 共済委員会、日本語学校奨学金支給に関する研究会開催。
7月12日 反ベトナム3派による民主カンボジア連合政府樹立。大統領シアヌーク、副大統領キュー・サムファン、首相ソン・サン就任。
10月19日 法務省、難民を初認定(難民条約上の第1号として26人が認定を受ける)。
12月10日 インドシナ難民救援センター解散。
1983年
(昭和58年)
1月14日 第2回難民共済委員会総会を開催(1982年は未開催)、名称をインドシナ難民共済委員会からインドシナ難民連帯委員会(CSIR)へ変更。
2月1日 事務局を東京都港区に開設。
2月22日 初のインドシナ3国首脳会議開催。
2月28日 第1回常任理事会で日本語学校奨学金、医療見舞い金、入学祝い金の各制度具体化。
4月1日 国際救援センター開設。
4月14日 同盟、一括加盟を決定。
6月1日 UNHCR、海上難民救助に関する諸経費支給を決定。
6月17日 1977年に日本船舶・興産丸に救助されたベトナム難民97人を代表してCSIRの会員マイ・ヒュー・タンさんが興産丸の北倉船長と海員組合の土井組合長に感謝状贈呈。
8月1日 インドシナ難民問題に関する先進国会議がハワイで開催、出席国は日・米・豪・加・仏・国連。
8月14日 夏期ジャンボリーを山中湖畔で開催、参加者200人(~15日)。
11月1日 閣議、インドシナ難民の本邦定住枠を3,000人から5,000人に拡大することを了解。
11月15日 同日現在、CSIRの難民会員は506人。
11月30日 同日現在、日本におけるインドシナ難民は定住者がベトナム1,675人・ラオス577人・カンボジア506人、一時上陸者(ベトナム)2,030人の計4,788人。
この年
  • 常任理事会において日本語学校奨学金を40人に、入学祝い金を16人に給付。
1984年
(昭和59年)
1月14日 第3回総会および創立3周年記念祝賀会を池之端文化センターで開催。
5月13日 「日本語を話す教室」開講式。この年20回開催。
8月4日 タイのバンビナイ難民キャンプへ視察団を派遣(~14日)。
10月4日 米国とベトナム代表によるODP(合法出国者)に関する協議がジュネーブで開催。
12月9日 同日現在、難民会員は1,045人。
この年
  • 日本語学校入学奨学金を難民会員36人に、学校入学・進学祝い金を125人に給付。
1985年
(昭和60年)
1月13日 第4回総会を友愛会館で開催。
3月25日 関西事務所開設。
5月1日 海上救助率の向上をはかるため、UNHCRがPASRO(海上救助定住提供制度)計画を実施。
7月9日 閣議、インドシナ難民の本邦定住枠を5,000人から10,000人に拡大することを了解。
10月19日 ベトナム戦争で行方不明のアメリカ兵遺骨のアメリカ・ベトナム共同捜査作業開始。
11月18日 タイ・カンボジア国境で大規模な戦闘が行われ、タイ領内へ難民が大量流入。
12月22日 インドシナ難民は「出稼ぎ難民ではない声明」を支持する連帯集会を開催。
12月31日 日本のインドシナ難民は定住者がベトナム3,153人・ラオス645人・カンボジア738人、一時上陸者917人の計3,775人。
この年
  • 「日本語を話す教室」を延べ20日間開催し、284人の定住難民が参加。
  • 日本語学校入学奨学金を65人に給付。
1986年
(昭和61年)
1月6日 米大型政府代表団が戦争終結後初めてベトナムを訪問。
2月9日 第5回記念総会・設立5周年記念祝賀会を友愛会館で開催。
2月9日 出産祝い金制度発足。
7月31日 鈴木俊子副会長逝去
8月16日 インドシナ3国外相会議開催。ベトナム軍のカンボジア撤退、ポル・ポト派排除など共同コミュニケを採択。
11月24日 在日ベトナム・ラオス・カンボジア人と日本人との親善サッカー大会開催。
11月25日 「ソ連の人権・ポーランドの労働組合権回復を求める集会」に協力。
この年
  • 日本語学校入学奨学金を37人、医療見舞い金を14人、出産祝い金を3人に給付。
1987年
(昭和62年)
2月15日 第6回定期総会を友愛会館で開催。
2月25日 ハノイで個人および家族経営による自由営業許可。技術の売買を認可。
5月6日 ベトナム政府は「全ての海外在住ベトナム人は、出国の状況や時期に係わりなく観光目的でベトナムに入国できる」との決定をベトナム共産党機関紙ニャザンで発表。
7月1日 第5次難民キャンプ救援視察団をタイに派遣。今後の救援について内務省、国連難民高等弁務官バンコク事務所、子供財団、ラオス難民救援委員会と協議(~8日)。
8月1日 ヴェッセイ米大統領特使がハノイを訪問、行方不明米兵の捜索促進、人道援助開始に合意。
8月28日 市民団体の「ピースボート」により、日本定住ベトナム難民が初めて一時帰国。
9月30日 シアヌークが提唱した3派とカンプチア代表による4者会談をベトナムが公式に支持する声明を発表。
10月13日 「第4次難民キャンプに毛布と衣類を送る運動」を実施、80トンを集約(~23日)。衣類はタイの孤児院(11月9日)と国連経由で難民キャンプ(12月5日)に贈呈。
10月22日 友愛会議設立総会開催。
10月28日 中立労組連絡会発足。
11月19日 同盟解散。
11月20日 民間「連合」発足、55産別・539万人。
12月2日 カンボジア・シアヌーク、フン・センがパリで初会談、政治的解決で合意。
12月31日 日本のインドシナ難民は定住者がベトナム3,724人・ラオス788人・カンボジア909人、一時上陸者638人の計6,059人。
1988年
(昭和63年)
2月21日 第7回定期総会を友愛会館で開催。
5月9日 第6次難民キャンプ救援視察団をタイへ派遣(~15日)。キャンプ内の火事で寺院が焼失し、再建について要請を受ける。
5月29日 在日ベトナム・ラオス・カンボジア協会と日本人との親善サッカー大会を実施。
7月20日 タイのナポー難民キャンプ内でCSIRが建立した寺院の引き渡し式に代表団が参加。
11月8日 在日ベトナム・ラオス・カンボジア協会と日本人との親善サッカー大会を実施。
11月27日 第7次難民キャンプ救援視察団を派遣。視察団はナポー難民キャンプに学童服と生地合わせて2,536着を持参。また、シキューのベトナム人難民キャンプに1万1,500冊の教科書を贈呈(~12月4日)。
12月22日 ベトナム国会、憲法前文にあったフランス植民地主義、日本帝国主義、アメリカ帝国主義、中国覇権主義、カンボジア反動主義者の字句を削除。
12月22日 日本定住カンボジア難民が初めて一時帰国。
1989年
(平成元年)
2月26日 第8回定期総会を友愛会館で開催。
3月16日 ベトナム全土で配給制廃止。
6月13日 インドシナ難民国際会議をジュネーブで開催(~14日)。CPA(包括的行動計画=ボートピープルに対し、難民審査のためのスクリーニング制度の導入を骨子とする計画)を採択。
8月28日 第8次難民キャンプ救援視察団をタイのナポーキャンプに派遣(~9月3日)。
9月12日 閣議、「インドシナ難民国際会議の合意を踏まえ、一時庇護のための上陸許可の審査を実施。許可されなかった者の収容・送還のための所要の処置」について了解。
9月25日 カンボジア駐留のベトナム軍完全撤退。
11月21日 民間連合と官公労組の「統一大会」開催。連合(日本労働組合総連合会)発足。78産別、800万人。
11月21日 総評解散
12月3日 第9次難民キャンプ救援視察団を派遣(~11日)。視察団はラオス難民キャンプに学童服地3,000着分、同キャンプ内の青年学級学舎建設費用、サッカー用ユニフォーム、文房具などを贈呈。
この年
  • 1986年から5回にわたりタイ・ナポーのラオス人難民キャンプに教科書1万9,000冊を贈呈。
1990年
(平成2年)
1月18日 連合第1回中央委員会の席上、「愛のカンパ」から3,500万円の救援金を受領。CSIRはこれまで同盟および友愛会議の「愛のミルクカンパ」に支えられてきたが、この年から連合に受け継がれた。
3月4日 第9回総会を友愛会館で開催。
3月11日 事務局を東京・港区から江東区森下に移転。
3月12日 東京同盟の解散に伴い、寄付金2,000万円を受領。
6月1日 「出入国管理及び難民認定法」改正施行(7月1日以降、東南アジア諸国に長期滞在しているベトナム難民の国際救援センターへの受け入れについて)。
6月10日 ナポー難民キャンプで青年学級学舎の引き渡し式に代表団を派遣。
6月15日 入学・進学祝い金をベトナム240人、ラオス45人、カンボジア89人(10月5日)に給付。
7月5日 難民救援の功績が認められ中山外務大臣から表彰状を受領。
8月6日 米越両国第1回公式会談実施。ベトナム国連大使とケネス・クイン米国務次官補。
10月19日 「第7次救援衣類を送る運動」で集めた69トンの衣類を、タイの難民キャンプ・難民キャンプ周辺の生活困窮者・子供財団に向け、東京港から発送。
11月4日 第10次難民キャンプ救援視察団をタイへ派遣(~13日)。
12月31日 同日現在、インドシナ難民の定住者はベトナム5,076人、ラオス941人、カンボジア1,099人の計7,116人。
この年
  • 医療見舞い金を6人、出産祝い金を2人、弔慰金を1人に給付。
1991年
(平成3年)
1月1日 緒方貞子氏が第8代国連難民高等弁務官に就任。
3月20日 インドシナ難民連帯委員会を支援する個人会員組織「ふきの会」結成。
3月24日 第10回定期総会、創立10周年記念祝賀会を池之端文化センターで開催。
3月24日 第10回定期総会を機に、日本在住ベトナム人協会および在日ラオス協会が自主運営をめざす。
6月10日 中山外相、ベトナム訪問。
10月23日 パリでカンボジア和平協定調印、紛争4派と関係18カ国が調印。
11月14日 カンボジア・シアヌーク議長13年振りに帰国。
12月1日 第11次難民キャンプ救援視察団をタイへ派遣(~7日)。
12月 1975年以来発生したインドシナ難民は165万人。
この年
  • 入学・進学祝い金をベトナム226人、ラオス57人、カンボジア58人の計341人に給付。また、医療見舞い金を11人、出産祝い金を5人に給付。
1992年
(平成4年)
3月15日 カンボジア国連暫定統治機構(UNTAC)が正式に発足。
3月30日 カンボジア和平合意を受けて、タイ領内のカンボジア難民が帰還開始。
4月20日 ベトナムが新憲法(一党独裁、市場経済、改革路線)公布。
4月26日 第11回年次総会・祝賀会を友愛会館で開催。
4月30日 同日現在、日本定住難民はベトナム6,321人、ラオス1,241人、カンボジア1,221人の計8,783人。
5月29日 UNHCRの要請に応え、香港・マレーシア・フィリピン・インドネシアのベトナム難民キャンプに教科書2万996冊を発送。
10月14日 日本PKO本隊がカンボジア入り。
11月6日 日本が対ベトナム援助を14年振りに再開。
12月6日 第12次難民キャンプ救援視察団をタイのナポーキャンプに派遣、学用品を贈呈。タイ訪問の後、カンボジアに立ち寄り、要請を受けていた小学生算数教科書11万800部を教育省に寄贈(~18日)。
この年
  • 1989年からタイ・シキューのベトナム難民キャンプに対し、3回にわたり教科書6,300冊を贈呈。
1993年
(平成5年)
1月16日 宮沢首相がバンコクで「インドシナ総合開発フォーラム」の設立を提唱。
3月24日 ベトナム・キェット首相、初めて公式に訪日。
5月23日 カンボジア総選挙で第1位にフンシンペック党(~28日)。
5月30日 第12回定期総会を開催。名称を「インドシナ難民連帯委員会(CSIR)」から「インドシナ難民およびアジアの恵まれない人々と連帯する委員会(CSIRA)」に変更。
5月30日 会長が武藤光朗氏から金杉秀信氏へ交代。
7月1日 カンボジア暫定国民政府成立、制憲議会が新憲法制定。
9月19日 カンボジア新政府樹立。
9月24日 シアヌークがカンボジア国王に即位。
この年
  • 10月に実施した「救援衣類を送る運動」で100トンの衣類を集約し、ナポー難民キャンプやタイのスラムなどに贈呈。
1994年
(平成6年)
1月16日 第13次難民キャンプ救援視察団をタイへ派遣(~25日)。
2月3日 米国が対ベトナム禁輸措置を全面解除。
4月24日 第13回年次総会を友愛会館で開催。
5月3日 矢田彰事務局長逝去。
5月13日 第82回常任理事会で野付事務局次長が事務局長に就任。
7月7日 カンボジア国会がクメール・ルージュ非合法化法を全会一致で可決。
9月11日 ラオス救援のための調査団を派遣。調査団は在ラオス日本大使館、UNHCR駐ラオス事務所、労働社会福祉省、外務省で協議を行ったほか、帰還難民定住地域(サイタニ自治区の4村)を視察(~19日)。
10月31日 同日現在、日本定住難民はベトナム7,096人、ラオス1,262人、カンボジア1,243人の計9,601人。
12月6日 閣議、インドシナ難民の10,000人定住枠撤廃を了解。
1995年
(平成7年)
1月8日 第14次難民キャンプ救援視察団をタイへ派遣(~15日)。
1月17日 阪神・淡路大震災発生。ベトナム人の被害状況は全壊・全焼63世帯、半壊・半焼29世帯、一部損壊30世帯、負傷2人。このうち、本会会員は17世帯89人が被災。
3月23日 大村難民一時レセプションセンターが業務終了。
4月16日 第14回定期総会、祝賀会を友愛会館で開催。
5月24日 ラオス・サイタニ自治区クッサンバット村に初めて建設した小学校の引き渡し式。金杉会長ほか3人が参加。
7月28日 ベトナムがASEANに正式加盟。
8月6日 米国がベトナムに大使館開設。
10月26日 CSIRAの功績が認められ村山首相から表彰状を受領。
10月27日 外務省・UNHCR・国連大学主催のインドシナ難民国際セミナー開催。
12月22日 ベトナム経済ニュース誌が「88年以来の外国投資プロジェクト総件数1,400件、投資総額178億ドル」と報道。外国投資54カ国の順位は、(1)台湾(30億ドル)、(2)香港(20億ドル)、(3)日本(17億ドル)、(4)シンガポール(16億ドル)、(5)韓国(14億ドル)、米国は10位(5億5,000万ドル)。
1996年
(平成8年)
1月9日 第15次訪タイ救援チームを派遣。初めてタイの福祉施設を訪問。また訪タイ中、タイの福祉に貢献したとしてバンハーン首相から表彰状を受領。タイからの表彰はこれで4度目(~15日)。
1月14日 国連難民高等弁務官事務所がベトナムのボートピープル支援活動の6月打ち切りを決める。
2月15日 ラオス・ビエンチャン自治区ホンガム村に建設した2番目の小学校引き渡し式に代表団が出席。
3月5日 インドシナ難民国際会議をジュネーブで開催、CPAの最終時期(本年6月)を確認(~6日)。
3月23日 姫路定住促進センター閉所。
5月26日 第15回年次総会および設立15周年記念パーティーを池之端文化センターで開催。
5月26日 第15回年次総会で名称を「インドシナ難民およびアジアの恵まれない人々と連帯する委員会(CSIRA)」から「アジア連帯委員会(CSA)」へ変更。
1997年
(平成9年)
1月9日 第16次訪タイ救援チームを派遣(~16日)。
1月31日 同日現在、日本定住難民はベトナム7,525人、ラオス1,306人、カンボジア1,254人の計1万85人。
2月14日 ラオス・ビエンチャン自治区コンケオ村に建設した3番目の小学校引き渡し式に代表団が出席。
2月28日 CSA関西事務所閉鎖。
5月25日 第16回定期総会を総評会館で開催。
10月13日 第14次「救援衣類を送る運動」で111トンを集約(~17日)。衣類はタイの労働社会福祉省やNGO団体を通してタイ全国の生活困窮者に贈呈。
12月19日 第100回常任理事会を開催。
12月 CSAの活動が評価され、緒方貞子国連難民高等弁務官から感謝状を受領。
1998年
(平成10年)
1月8日 第17次訪タイ救援チームを派遣。チームはタイの関係機関や小・中学校、児童施設を訪問、今後の支援について協議(~15日)。
3月25日 ラオス・ビエンチャン自治区に建設した4番目(ソムサバット村)と5番目(ナカン村)の小学校引き渡し式に代表団が出席。
3月26日 大和定住促進センター閉所。
5月24日 第17回定期総会を総評会館で開催。事務局長が野付利之氏から打田照純氏に交代。野付氏は副会長に。
7月25日 武藤光朗前会長逝去。
10月5日 第15次「救援衣類を送る運動」で衣類115トンを集約(~9日)。11月11日、タイの労働社会福祉省に贈呈。同省はタイの53地方の福祉施設やNGO団体を通して生活困窮者に配布。
1999年
(平成11年)
1月17日 第18次訪タイ救援チームを派遣。チームは労働社会福祉省や日本大使館を訪問したほか、タイ中部カンチャナブリ県の小学校や老人ホームなどを訪問して、衣類や文房具を贈呈(~24日)。
4月28日 ラオス・ビエンチャン自治区に建設した6番目(トナミ村)と7番目(ポンサイ村)の小学校引き渡し式に代表団を派遣(~29日)。
5月23日 第18回定期総会を総評会館で開催。
10月4日 第16次「救援衣類を送る運動」で衣類90トンを集約(~8日)。タイ労働社会福祉省(11月17日)とラオス保健省(11月12日)に寄贈。タイは寒波の影響を受けた66地方に、ラオスは政府機関を通し生活困窮者に配布。
2000年
(平成12年)
1月16日 2000年訪タイ救援チームを派遣。チームは労働社会福祉省、日本大使館、北部のウドンタニ県、コーンケーン県で日本から送った衣類の贈呈と、通学用自転車を贈呈。小・中学校、養護施設、村落などを視察(~23日)。
3月31日 同日現在、日本定住難民はベトナム8,027人、ラオス1,306人、カンボジア1,259人の計1万592人。
4月23日 平成12年度ラオス代表団を派遣。ラオスの古都ルアンパバーンでの第8番目小学校引き渡し式に出席。セントラル硝子労組の資金協力で建てられた学校である(~30日)。
5月21日 第19回定期総会を友愛会館で開催。
9月22日 第20回臨時総会を総評会館で開催。規約改正により総会開催を毎年9月に変更。
10月2日 第17次「救援衣類を送る運動」で衣類92トンを集約(~6日)。タイ労働社会福祉省(11月15日)とラオス保健省(12月12日)に寄贈。タイへは88トン、ラオスへは政府機関を通し生活困窮者に4トンを配布。
12月10日 国連難民高等弁務官事務所からラオス帰還難民子弟に対するCSAの支援に対して、2度目の感謝状を受領。
12月31日 緒方貞子難民高等弁務官が退任(在任期間=10年)。
この年
  • ラオス・シンクワン県に建設した9番目中学校およびボケオ県に建設した10番目小学校の引き渡し式。交通事情が悪いため、UNHCRと労働社会福祉省に依頼し、無事現地の人々に渡された。
  • 1982年から「同盟・友愛会議愛のミルクカンパ」「連合愛のカンパ」から受領したカンパ金は合計6億500万円となった。
  • 1980年からの「救援衣類を送る運動」で集約した衣類は合計1,826トンに達した。
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