会長メッセージ

2004年 - 会員との協力を蜜にし、新しいCSAの活動を
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年9月26日


 会長の話として、第24回総会でお話した内容を記載します。

第24回定期総会に当たり、まずご出席いただいた会員の皆様方に日ごろからのCSA活動に対するご協力に、心からお礼申し上げます。また連合より「多大な愛のカンパ」をいただいていることに感謝申し上げます。この連合のカンパは、組合員一人ひとりの心がこもったお金です。非常に感謝するとともに、その組合員の善意が、ラオス・タイをはじめとする支援国の皆様に伝えることが、私たちの重要な使命だと考えています。昨年度は、会員の皆様方のお力により、大量の中古衣料を、タイ・ラオスに送付しました。また全郵政東京地本をはじめとする多くの会員のご協力によって、ラオスのシェン・レーナ村に学校を建設することができました。このラオスの学校建設は、すでにここ数年の間に14校に及んでいます。この3月にラオスを訪問し、「継続は力」ということを痛感しました。ラオスにおけるCSAの評価の高さを知ることができました。このことは、現在までのCSAの運動にご協力をいただいている連合および会員の皆様のご支援のおかげであります。CSAの今後の運動は、「継続は力」ということをバックにこれからもラオスにおける学校建設および中古衣料の送付をひとつの柱にしながら、会員皆様方と密接に連携し、CSAの創立の意義も大切にしながら、これからのCSAの新しい活動を模索していきたいと考えます。

 今年度の活動の柱は、

  • ラオスにおける学校建設およびラオス・タイへの中古衣料の送付を皆様の支援によって継続する。
  • CSAの今後の運動のあり方を企画委員会と会員の英知で新しく構築する。
  • 組織的には、連合との連携関係を深める。
  • 新しく、教科書の支援を始める。
  • サンティパープ高校寮生の支援活動の強化については、会員および一般の皆様方のカンパ協力をお願いする。この募金を基に寮生の生活および学業支援を実施する。

今年度についても皆様方のご理解とご協力をお願いします。事務局も会員皆様方のご期待に副うべくがんばります。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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生産性向上運動とアフリカの課題
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年9月吉日


 ILOの理事の時代に、アフリカで、労働組合幹部のみに7回、ガーナの政労使に1回と合計8回のワークショップをILOおよび連合の協力で実施した。アフリカの労働組合幹部は、すでに述べたように、多くは、旧宗主国で、高等教育を受けた人が多い。大半は、英語、フランス語など流暢に話す。私から見るとメンタル的なところは、ヨーロッパ感覚である。ヨーロッパの労働運動は、政治的には自由主義を基調としているが、労使間における運動基調は、階級的思想に基づいているように思う。その視点から見ると生産性向上運動などは、資本家を肥やすためのものであり、労働組合が推進するなどとんでもないといった風潮にある。ILO理事会の労働側グループ会議の意見を聞いていても、そのことが強く感じられた。最初のうちは、ワークショップに参加した労働組合幹部も、肩肘を張り、生産性向上運動など片腹痛いといった姿勢であった。しかし日本の経験、ILO職員の生産性理念の講座を勉強するにつれて、彼らの姿勢に変化が生まれ、真剣に勉強する雰囲気が生まれた。そしてワークショップに対する好意的な評価がアフリカ労働運動の中に生じてきた。一方で、アフリカの生産性向上運動の問題点も顕在化してきた。ひとつは、一般国民の識字率が低いこと、産業的に言えば、製造業がほとんど無く、農業および鉱業を中心とした第1次産業が中心であること。また国の経済活動の過半が、インフォーマル経済であることなどである。その上に数少ない製造業は、ほとんどが外国資本であり、その資本家の大半が、自己中心主義であり、その国の国民と協力をして、その国の富を生かし、国民生活の向上を図ろうとする気持ちの少ないことである。これらの諸点は、日本が戦後復興する中での環境とは大きな差である。日本の経験を即アフリカに当てはめることは不可能である。これらのアフリカ独自の課題の克服がアフリカ経済の向上と国民生活向上を生み出すきっかけとなる。このきっかけをこのワークショップの中から、アフリカの仲間が自ら見出してもらうことが、一つの目標であった。このワークショップは、現状のアフリカ経済の中で、如何にすれば、昨日よりも今日、今日よりも明日への向上を目指す生産性運動の基本をみんなで考えるきっかけを与えたと自負している。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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言葉と文化
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年8月吉日


 もちろん日本にも少数の他民族も存在するが、日本は、幸か不幸か、日本列島の4つの島に、一言語国民が一億2千万いる。私達にとっては、一つの国で、一つの言葉を喋るのは当たり前と思っている。一億2千万にという国民の数は、中国、インド、ロシア、アメリカ、インドネシアなどに次ぐ人口大国である。人口大国でありながら一言語で、日本国中、言葉が通じる国は、日本のみである。アフリカは、ナイジェリア、南アフリカを除いて人口が日本の五分の一から、十分の一位である。しかし言葉は、旧植民地時代の宗主国の言葉、英語、フランス語、イタリヤ語が、その国の公用語であり、そのほかに、大部族などの言葉を公用語に採用している国が多い。アフリカの仲間になぜ、植民地支配が終焉した以降も、旧宗主国の言葉が、第一公用語なのかを質問した。答えは、部族が多く、部族ごとに言葉も異なるので、旧宗主国の言葉が、その多くの部族の意思疎通に最も適しているのだという。ある会合で、私と親しいアフリカの労働組合指導者と隣り合わせになった。彼と片言の英語で話し合った。「言葉は文化だと思う。アフリカの国々は、公用語が、英・仏語などであるが、国の独自の文化は存在するのか」と相当失礼な質問をした。彼は、「残念ながら国の文化はないに等しい。各部族には、文化がある」と応えた。アフリカなどの国と付き合うときには、一つの国であるから、文化、習慣が、その国では、共通していると考えては間違いを起こすことがある。又、アフリカの政労使のトップクラスの人たちは、英仏語が堪能である。これらの人は、旧宗主国で、教育を受けた人が多い。それだけにその人たちのマインドは、アフリカマインドでは無しに欧米型のマインドである。トップの人たちの声で、その国のすべてを判断すると、大変な間違いを犯すことがある。アフリカのみならず、現地の人たちと一緒に仕事を進めるときには、一言語国の私たちにとっては、難しい課題ではあるが、そのことを十分理解する必要がある。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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アクラを訪問して驚いたこと
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年7月吉日


 1995年5月、アフリカ労働機構(OATUU)の大会に参加するために、西アフリカのガーナ国の首都アクラを訪問した。到着して、驚いたことが二つある。一つは、空港のロビーのテレビが、日本のテレビドラマ「おしん」が放映されていたことと、二つ目は、ホテルに着いたときである。出迎えのOATUUのスタッフに、このホテルは、アクラの中心からどのくらい離れているかと質問したときである。答えは、「ここは市内の中心だよ」と予期せぬ答えが返ってきた。アフリカ諸国の首都は、ニューヨークと同様に、高層ビルが林立していると予備知識として持っていた。まったく予想に反した(注:その後訪問したアフリカ諸国の首都は、ニューヨークと同様であった)。おしん放映は、日本の発展に学ぼうとする発展途上国の思いである。  ガーナ国は、1957年3月に英国から独立した。初代大統領は、エンクルマ氏である。ガーナは、非常に平らな国であり、東南アジアの国々の風景と似ている。植民地時代、又独立直後に、巨大なモニュメントを作る政治指導者が多い中で、エンクルマ大統領は、アクラから約100キローメーター東南部のボルタ湖から流れ出すボルタ河入り口にアコソムンボダムを建設したことである。ガーナ国は、平坦な国であり、高低差も非常に少ない国である。しかしその少しの高低差を利用して、ダムを建設し、発電所を設置した。そのおかげで、発展途上国は、電力不足で、開発もままならぬ国が多い中で、ガーナは1995年位まで、近隣諸国に売電するほど電力が豊富な国になった。エンクルマ初代大統領は、他国の指導者たちと違い、地道な開発を心がけた数少ない開発途上国の指導者であった。その先見性が、ガーナをアフリカ諸国の中で豊で、安全な社会を生んだ。訪問したときに、ある南部出身の女性大学教授が、「夜、女性が一人で歩けるのは、アフリカの中では、ガーナのアクラしかない」といった言葉が印象的であった。指導者の素質が、その国の将来を左右することを痛感したアクラ訪問であった。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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アフリカの思い出
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年6月吉日


 ILO理事在任中に、アフリカ大陸を9回訪問した。最初は、1993年4月に、ILO理事選挙応援依頼のため、ジンバブエ国の首都ハラレで開催された国際自由労連アフリカ地域大会に出席した。それから2003年11月にカメルーンの港湾都市ドアラの訪問までに、それらを含めて7カ国9回アフリカ大陸を訪問した。それぞれの国の大きな都市の訪問が中心あり、しかもその都市も垣間見ただけですべてを語ることはできない。ガーナー国の首都アクラ以外の都市は、植民地時代の名残である。近代的なビルが立ち並ぶ大都市である。しかし、その都市にふさわしい生活を国民がしているかというと、そうではない。そのギャップの大きさに驚く。しかも最近は、サハラ砂漠以南のHIV/AIDSキャリアの比率の高いのには驚く。ILOになって、アフリカの現状の厳しさに、何とかアフリカを健全化する手段はと思い、アフリカの仲間と話し合った。その結果三つのことを痛切に感じた。一つは、貧困を自らのものとして、それを打開しようとする意欲の少ないこと。二つは、国民の基礎教育が不足していること。三つは、西洋的なアイデンティティを持つ知識階層・指導社会層の人々が多いことある。  ILOの労働者活動局、連合の幹部と話し合った。その結果、ILOと連合及びJILAF(国際労働財団)との共催で、アフリカの労働幹部に「日本の第2次世界大戦後の経済成長と国民の生活向上に」大きく貢献した「生産性向上」の重要性を理解し、実践してもらうことが大切だと考え、「労働組合幹部に対する生産性向上の必要性に関する」ワークショップを1997年7月から合計7回実施した。今回は、字数の関係で、ここまでにしますが、アフリカに於ける経験が、アジア地域の支援にも役立つのではないかと考え、この後も数回アフリカで経験したことをこのコラムに記載します。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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新しい感動を求めて
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年5月吉日


 あっという間に1年がたってしまう。今年度は、14校目の学校をラオス・ビエンチャン郊外に建設した。そのほかにも中古衣料をタイおよびラオスの国に寄贈して、両国の政府ならびに当事者から、心からなる感謝をしていただいた。その感謝の感激に浸る間もなく、来年度のCSAの活動を検討する時期に入った。CSAの活動は、連合組合員が寄せてくれる「愛のカンパ」、連合加盟の産別の協力とCSA加盟団体および個人の献身的なご尽力によって支えられている。CSAの飛躍を期待する想いから、多くの仲間から活動の範囲、中身の再検討および拡大を、CSAは求められている。CSAの事務局も、会員の仲間もその声を真剣にとらまえて、懸命に知恵を絞っている。

 この3月に14校目の学校の引渡し式で、ラオスを訪問した。新米会長はあらためて「継続は力だ」ということを実感した。ここ7-8年に14校の小学校をラオスで建設した。この実績は、ラオス政府のCSAに対する信頼度を深めた。この信頼度は、想像以上に大きい。この信頼度を大切にすることもCSAの使命である。このCSAの前身が、東西対立の激しい時期にインドシナ難民を救済する一助にという思いで1983年1月に誕生した。それから20年以上が経過し、その間に東西対立は解消し、この委員会設立の初期の目的は達せられた。CSAは、連合の仲間と「世界の平和は、人々の貧困の解消である。それには、子供たちの基礎教育が大切だ」という認識で一致し、ラオスの学校建設を推進してきた。CSAの活動を再検討するにしても、このラオスの学校建設の柱は、大切にしながら、CSAの活動範囲と活動対象国の拡大などを検討していきたいと思っている。皆様の知恵をお貸しいただきたい。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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純朴なそしてきらきら輝く瞳に感動
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年3月吉日


 3月14日から20日にかけて、ラオスとタイを訪問した。訪問の目的は、全郵政東京地方本部の寄進により建設した第14校目であるシェンレーナ村小学校の引渡し式に参加するためと新会長として関係筋にご挨拶するためである。シェンレーナ村小学校は、ビエンチャンから100キロメータはなれたところにある田舎の村にある。大変な歓迎を受けた。おそらく小学校は、教育の場だけではなく、小学校の近くにある村々の人々の交流の場とか、文化センター的役割も果たすことになると思われる。関係省庁に挨拶に行くと、CSAに対する今までの活動に対する感謝とこれからへの期待の大きいことに感激する。ラオスの首都ビエンチャンから北に数百キロのルアンババンを訪問した。このルアンババンは、町の一角そのものが、世界遺産に指定されている日本で言えば、京都とか奈良のような古都である。感激したのは、CSAが建設し運営している高校生の寄宿舎を訪問したときである。15-17歳くらいの男女生徒60人に会った。感動した。日本では、ほとんど見ることのできない澄んだ純な瞳、瞳である。歌と踊りで交流する。輝くような瞳で見つめられると私たちが失ってしまった純真さとひたむきな姿勢が伝わって来る。

 日本は確かに物的には、恵まれた国かもしれない、しかし物的な豊かさを追い求める中で、純真さとまじめさを失ってしまったようだ。ラオスの生徒のこの純な瞳がラオスの発展と共に失われないことを祈りたい。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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児童労働に思う
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年2月吉日


 ILO(国際労働機関)が2002年に発表した2000年の統計によれば、世界の5歳から14歳までの児童の17.6%約2億1千万人が労働に従事しているという。この子供らは、日本でいえば、義務教育の年齢である。アジア地域では、その半数以上の1億2千7百万人が占めている。日本でもつい数十年前は、有名なテレビドラマ「おしん」ではないが、数多くの児童労働が存在した。1999年6月第87回ILO総会において,感動的なドラマがあった。182号条約「最悪の形態の児童労働の禁止と廃絶のための即時行動に関する条約と勧告」が、ILO史上でも初めといわれる満場一致で採択された。最悪の形態とは、児童兵士、奴隷労働、売春・ポルノ、危険有害作業、麻薬などの販売などをさしている。そのような最悪の形態の労働に世界では、一億7千万人、14歳以下で、1億1千1百人が従事している。世界では、当然児童労働のすべてを撲滅しようとしているが、まず最悪の形態の児童労働の撲滅に力を注いでいる。この182号条約は、史上まれな速さで批准されている。条約が採択されて5年足らずで、全加盟国177カ国の80%を越す147カ国がすでに批准した。各国の関心高さがわかるというものである。しかし現実は、遅々として進んでいない。

 地味な活動であるが、連合はILOと協力して、フイリッピンにおける少女の児童労働の実態調査に貢献している。また国際労働財団(JILAF)(連合出資の財団)はネパールなどで、児童労働から解放した児童の正規学校へ復帰するための教育施設用の学校を建設すると共に学校運営に大きな貢献をしている。日本では、児童労働はなくなった。しかし発展途上国に進出している日本企業は、現地で児童労働者を採用していないかどうか。国内のみでなく国外に目を光らせる必要がある。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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鳥インフルエンザに思う
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2004年1月吉日


 昨年末の米国産牛のBSEに続いて、山口県で発生した鳥インフルエンザの発生は、日本の食生活に大きな影響を及ぼしている。山口県の鳥インフルエンザの伝染経路が、定かでないだけに日本の国民に不安を与えている。山口県で発生して、国民の鳥インフルエンザへの関心が高まった。その同じ時にヴェトナム、タイなどでの鳥インフルエンザが人に感染し、死者が出るなどその被害が伝えられている。日本政府は、米国産牛と共に、タイからの鶏肉の輸入を一時停止する政策を実施した。その結果、牛丼の吉野家が、牛丼の一時廃止を余儀なくされる可能性も出てきた。この輸入禁止処置が長引けば、牛肉も鶏肉も価格が上昇し、庶民の食卓に上らなくなるかもしれない。一方で、中国広東省のサーズの再発生問題がある。このサーズも野生動物を食することによって感染するという。それぞれの国の食文化を批判する気持ちはまったくない。しかし牛のBSE、鳥インフルエンザ及びサーズにしても自然界の摂理を人間が、尊重しないために自然から手痛いしっぺ返しを受けているとも云える。その他にもエーズ、デボラ出血熱のように、野生動物特有の病が人間に伝染している。自然環境の保護にもっと力を注がないと、これからますます自然界から、手痛い反撃を受けることになる。これらの病は、人間の奢りから発生したと云っても過言ではないと思う。心しなければ。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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