会長メッセージ

2007年 - 第27回定期総会に当たって
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2007年9月吉日


 第27回定期総会に当たり、ご出席いただいた会員の皆様に、日ごろからのCSA活動に対する物心両面にわたる多大なるご支援に、心から感謝申し上げます。

また連合より多大な「愛のカンパ」をいただいていることに感謝申し上げます。この連合のカンパは、組合員一人ひとりの心がこもったお金です。非常に感謝するとともに、その組合員の善意が、ラオス・タイをはじめとする支援国の皆様に伝えることが、私たちの重要な使命だと考えています。昨年度は、会員の皆様方のお力により、大量の中古衣料を、タイ・ラオスに送付しました。昨年は、18校目の小学校をラオスに建設しました。又サンティパープ高校生の寮生も3回の卒業生を出すことができました。卒業した寮生は、ラオスの全国高校生の中でトップ水準の成績で卒業しています。これも皆様方の心温まるご支援のおかげです。

CSA結成27年目の今日、皆様方の協力を得て、ラオスに小学校17校、中学校1校、計18校を建設し、又救援衣料については、タイ・ラオスの2国に合計二千数百トン送付してきました。

また5年前に、ルアンパバーンのサンティパープ高校(3年制)の寄宿寮を建設し、一学年30人の生徒の支援をしてきました。今年、3回目の卒業生を出すことが出来ました。彼らは、非常に良い成績で卒業し、我々の期待に答えてくれていると思います。そのおかげで、CSAの活動は、ラオス・タイの両国から非常に高く評価されています。その評価が得られるのは会員の皆様のお力です。継続は力です。なりは小さいですが、国際NGOとして胸を張ることが出来ると思っています。

今年は、新しい人材が、CSAに着任します。
CSAの今後の運動は、「継続は力」ということをバックにこれからもラオスにおける学校建設、高校生の支援および救援衣料の送付をひとつの柱にしながら、会員皆様方と密接に連携し、CSAの創立の意義も大切にしながら、これからのCSAの新しい活動を模索していきたいと考えます。

今年の重点目標

  • ラオスにおける小学校または中学校の建設、教育資材などの支援およびラオス・タイへの中古衣料の送付を皆様の支援によって継続する。
  • 組織的には、連合との協力関係をより深めるとともに、業務内容の拡大などについて、検討していきます。
  • サンティパープ高校寮生の支援活動の強化については、会員および一般の皆様方のカンパ協力をお願いいたします。この募金を基に寮生の生活および学業支援を実施いたします。又施設も5年を経過し、補修の必要な箇所もあり、今後も必要に応じ補修を行います。


今年度についても皆様方のご理解とご協力をお願いします。我々もがんばります。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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猛暑が続いた今年の夏・話題になった電力問題
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2007年8月吉日


 原稿を書いている6月5日に、安部総理が、ドイツ・ハイリゲンダムサミットに出発した。今度のサミットの焦点は、「地球温暖化対策」すなわち環境問題が主要テーマーになる。最近の最も大きな関心事は、CO2の排気量を最小にすることにある。このテーマーは地球規模的課題であり当然のことである。

しかし環境問題は、身近な問題にも課題が多い。昭和20年代後半から昭和30年代にかけて、日本の高度経済成長期、日本列島を震撼させた公害問題が多数発生した。一つには、水俣病に代表される水質汚染であり、二つには、石油精製で生ずる排ガスによる大気汚染である。人間が生きていく上で最も大切な水と空気が侵された。

終戦直後には、首都圏の小川で、河川で、魚が取れ、それを食べることができた。しかし昭和20年代の後半に入ると河川は汚染され、魚が取れても食用にならなくなった。そして河は死んでしまった。経済は成長し、国民の生活レベルは向上した。しかし自然が失われた。(最近は回復しつつある)食べ物に旬が無くなった。真冬に、春夏野菜が、当たり前のようにして食卓に上がる。生活が豊かになると、人間の心から季節が無くなった。

環境問題には、我々自身が自然を敬う精神を失うと共に、会社は、利益のために自然を犯すことを当然とした。その結果が、深刻な公害問題を引き起こした。その積み重ねが、地球温暖化問題である。

国のおかれた立場、国民性による価値観の違いを乗り越えよう

ILO理事時代、ジュネーブを中心とするヨーロッパの都市をよく訪問した。市場に行くと野菜や果物が山のように積んである。リンゴにしてもサクランボウにしても、粒は不ぞろいだし、しかもそのまま、山のように積んでいる。日本のように一つ一つ包装したり、磨いたりしていない。自然のままである。日本の消費者が、見た目を重視するために、生産農家は、必要以上の資源と労力を作物にかけている。果物だけではなく、日本は過包装の国である。又ヨーロッパは、ディーゼル車中心のモータリゼーションである。東京都の石原知事が、声を大きくしてディーゼル車の排斥に懸命であった時代からである。このように同じ先進国であっても国民の体質、国の政策優先順位によって、重点政策は異なっている。環境問題は、視点が異なるとその対策も異なってくる。どこに視点を当てるかが重要である。

中国政府も最近やっと重い腰を上げたようである。ここ10年の中国の経済発展は、目覚しいものがある。日本など公害問題で、大変な量の汗を流した国は、中国に公害対策の重要性を懸命に訴えた。中国政府は、先進国の発展途上国に対する干渉、ひいては保護貿易の手段として厳しくはねつけた。しかし今中国では、旱魃、洪水の自然災害の増大だけでは無しに、水資源の汚染が著しくなり、市民生活に深刻な影響を与えつつある。中国は、日本の人口の10倍以上であり、公害の規模もそれに匹敵している。 今度のサミットで、先進国、発展途上国を問わず、いかにして地球を守るかと言う1点に絞って、G8と中国、インドを含めた10カ国で、CO2削減の合意目標の達成が望まれる。

CSAの救援衣料が、環境保全に一役

ラオス・タイ国境地帯の山岳部には、多くの山岳民族が暮らしている。彼らは、山地を焼畑にして生計を立てている。タイ・ラオス政府は、焼畑をやめさせ、山岳民族を低地に定住させようとして、農地を与えたり、CSAが長年取り組んでいる救援衣料を優先的に山岳民族に配っているようである。我々が、頑張っている救援衣料が、地球温暖化の阻止にお役に立っていることはうれしいことである。これも支援してくださる皆様のおかげと感謝している。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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第19番学校引き渡し式を終えて
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2007年5月吉日


 2月、最高裁の判決で、学校の行事で、国歌を演奏することを先生に強制しても、そのことが、先生の思想信条の自由を侵すことにはならないとして、合憲の判決を下した。日本は、世界で例を見ない一民族国家である。国旗が無くても、国歌がなくても、日本の国に住んでいれば、日本人である。こんな恵まれた国も珍しい。最近アメリカの大リーグなどのスポーツ放送が日本でも良く見られるようになった。試合開始前に必ず国歌の演奏がある、日本人選手をはじめとする外国人選手も起立し、帽子を胸に当てている。公的な施設のみでなく人が集まるところには、必ず国旗がある。国旗・国歌のもとに集って始めてアメリカ人なのである。多民族国家では普通のことである。世界のいずれの国を訪問しても、国旗・国歌を尊重している。

日本を第二次世界大戦に突入させた主要な原因の一つに、日の丸・君が代をあげる人もいる。議論することは自由であり、国民の大多数が、改正に賛成ならば、改正すればよい。しかし、現在の日本では、大多数の国民が、現在の日の丸・君が代に賛成している。その日の丸・君が代を大切にする心を幼少時代から育成することが、学校教育の義務である。そのことを教育の争いにするのは、間違っている。国を愛する心の育成には初等教育の基本である。政府も大人も、日本の国を子供たちに誇れるようにする責務のあるのは当然である。

最近親が子を、子が親に対して、暴力を振るう事件が多発している。この責任は、大半が親にある。親が子に対して、慈愛と威厳を持って子を心服させられないのが一因である。親の自分に対する自信の無さがそうさせている。現在の親たちは、子供時代に、親を敬い、国を愛する教育ではなく、いかに、日本の国家及び親たちが日本の進路を誤らせたかと、国家と親に対する不信を植え付けられる教育を受けてきている。

親たちも、学校の先生ももっと自信を持とう。私は、外国を見るにつけ、日本は、それに比較して、素晴らしい国だと思っている。その素晴らしい国を作ったのは、団塊の世代を中心とした私達だから。もっと自信を持って、子供と語ろう。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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知識教育偏重と情操教育の喪失
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2007年4月吉日


 現在、日本の児童の96%近くが、高校に、45%近くが、短大・大学に進学する。進学率だけから見ると、世界に冠たる教育国である。又識字率から見ても、日本は、ほぼ100%の国であり、世界に例を見ない識字率の高い国である。第2次世界大戦後の荒廃した日本を素晴らしい速さで、世界2位の経済大国にしたのは、この識字率の高さと、明治・大正・昭和初期に教育を受けた人たちであった。これらの人たちは、高い教養と技術力で、日本の製造業の力を回復し、日本の経済を復興させた。一方でこれらの人たちは、第2次大戦による敗戦のショックで、日本の伝統的社会制度、家族制度を戦争発生の主な原因として考え、それらを捨て去った。彼らは、経済復興に夢中になり、家族の中心、家庭の支柱の座を妻に譲り、家庭の団欒、子供の教育の第一線から退いた。父親の子供への影響力は、失われた。

経済の復興とともに、学歴による格差が顕著になってきた。母親は、親父の学歴の無さを嘆き、子供を高学歴にするために必死になった。勉強さえしていれば、その他のことに目をつむった。知識偏重教育の始まりである。頭でっかちな子供誕生である。知識と理屈で子供に勝てなくなった。家庭における社会人としての教養をしつけることは失われた。又親の期待にこたえて、学校教育も知識中心主義となった。子供の情操教育に大切な、幼年期から中学時代までの子供への社会教育が失われた。

それでも1980年代の半ばまでは、会社で、彼らを社会人として、一人前にする余裕があった。バブル崩壊とともにその余裕も失われた。子供に対する情操教育は、日本の教育制度、社会制度の中で失われた。

少し極端な意見だと自分でも思っている。しかし、アフリカ、ラオスなどで、初等教育の必要性を強く訴えながら、反面そのことが、それらの国の子供の情操教育にどのような影響を与えるのかと思い悩むことも多い。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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しつけと暴力
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2007年3月吉日


 ラオスで、CSAが建設した小学校の引渡し式に2度参加した。もちろんこの学校に入学する子供たち、先生たちが集っているのは当然なことながら、その学校に通う子供の親たち、その村の住人全員がその式典に参加し、自分たちの学校が新しく出来たことを喜んでいる。学校を中心とした村のコミュニティーセンターの誕生である。

現在の日本のように学校は学校、家庭は家庭そして地域社会は地域社会と、みんな個別であり、相互間の関心が少ない。ラオスも決して、その3者が、全てうまく機能しているとは言えないかもしれない。しかし私の目には、貧しいながらも、学校を中心にして、子供を大きく育てるために、三者が協力し合っていこうとする心と意思が感じられた。このように三者が常に子供の成長に関心を寄せていれば、現在日本で発生しているいじめ問題、子供同士の暴力問題、先生・親による子供に対する暴力問題などの発生の数が激減するのではないか。

最近日本の教育現場で、先生による生徒への体罰問題、家庭内の親の子供に対する体罰(暴力)問題が良く顕在化する。最近の論調は、体罰そのものが悪だとされている。子供・生徒は、社会の一員として未成熟である。彼らを一人前の社会人とする忍耐強いしつけが必要である。そのしつけの中で、人の心を踏みにじる行為を繰り返す子供たちに、人の心の痛みを感じさせる体罰が必要なときもあると思う。ただそのときに、叱る側が、感情的でなく、理性的に叱ることができるかである。しかし18話で述べたごとく、親も学校の先生も、他人の心を思いやることが、人間として最も大切だという教育を受けなかった人も多い。子供を叱る前に自分が切れている。これがしつけの体罰では無しに、暴力となってしまう元だと思う。

私は、戦中に小学校に入学し、小学校の高学年から、戦後の教育を受けた。戦後の民主的な教育といいながらも、結構体罰によるしつけも受けた。しかられた内容は、ほとんど忘れてしまったが、今でもそれらの先生方を懐かしく思い出す。子供しつけは、親・先生の子供に対する愛情と学校、家庭、社会の三者による協力が大切である。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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今のままでよいのか、子供の教育
アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎

2007年2月吉日


 貧困で、子供の基礎教育さえ、ままなら無いラオスを訪問し、そこで、感じた日本の子供の教育について思うところを数回にわたって記載したい。

最近基本教育法が制定された。現在の日本の教育の在り方について考えようと言う点では、時期を得たものと思う。法律の中身について、政府見解と意見をことにするものも多い。ここではその中身の論争には触れない。しかし論争する当事者自身が、現在の児童の教育の現状をどう正しく認識しているか疑問を感じる。

現在の少子化をどう見るのか。少子化の大きな原因のひとつは、子供を少なく生んで、大きく育てると言う意識があったように思う。親たちは、日本の経済の成長期に、子沢山は、経済的な負担がかかり、子供を立派に育てることは困難と考えた。日本の社会は、少子高齢化社会になった。子供の数は、減った。子供たちは、大きく成長したかどうか。結果は、他人の心を大切にしない子供を育てた。世の中豊かになった。親は、子供に我慢することを教えなくなった。手を出せば、そこに自分の望むものが与えられた。我慢・忍耐することを学ばなかった子供は、自分の思うようにならないと切れた。

本来なら、子供を少なく生んで、大きく育てると言うことは、学校教育だけでなく、家庭で、親が、子供に、人間としての大切な優しさ、他人の尊重そして我慢などを教え、立派な大人・社会人を育てることにあったはずだ。結果は、子供減らして、自分たちが楽くしたに過ぎない。家庭における子供の教育を放棄したことが、現在の殺伐とした社会を生み出した大きな原因の一つだと思う。ラオスを訪問し、貧困な社会にもかかわらず、大家族の団欒を、子供たちのつぶらな瞳を見るにつけ、豊かさは、人間の幸せのすべてでないと痛感する。

アジア連帯委員会(CSA) 伊藤 祐禎
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